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インダス川から縄文時代の日本列島に
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1.インダス文明もシュメール人が築いた
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インダス文明(ハラッパー文明)は4,600年前から3,500年前にインドとパキスタンを流れるインダス川流域に栄えた都市文明である。
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インダス川上流や支流のアフガニスタンにも遺跡が残っている。
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インダスとメソポタミア(現在のイラク)の間にあるイラン高原にはエラム人が住んでいて東西交易を担っていたので、インダスとメソポタミアは盛んに交易をしていた。
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メソポタミアのシュメール文明は古く、5,500年前から4,000年前に栄えた。
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私見ですが、インダス文明もシュメール人が築いたと考えています。
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インダスとシュメールがエラム人を通さずに直接交易する場合は海上航路を利用した。
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シュメールにとってインダスが「エデンの園」だったのではないでしょうか。
2.インダス文明もシュメール人が築いた
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そのインダス文明はドラヴィダ人(Dravidian)が興した文明ではないかと考えられているので、私見ではシュメール人とドラヴィダ人は同じ種族になります。
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ドラヴィダ語とシュメール語は共通性があると云わているので、シュメール人がインダスに来てドラヴィダ人になったのではないか。
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或いはドラヴィダ人がメソポタミアに移住してシュメール人になったのかもしれない。
3.ドラヴィダ人は、縄文人、沖縄人、アイヌ人に似ている
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3,500年ほど前に欧州系のアーリア人がパキスタンとインドに侵入したことにより、ドラヴィダ人はアーリア人に支配されたが、インド南部のドラヴィダ人は古くからの文化を保っている。
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ドラヴィダ人は古くからインドに定住した民族で、現代では南インドを中心としてインド全土に居住し、スリランカ、バングラデシュ、マレーシア、シンガポール、モルディブ、そしてアフリカ寄りのマダガスカル島、セーシェル諸島などにも居住している。
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イギリスの植民地時代に労働力として移住させられた人も多いでしょう。
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ドラヴィダ人の特徴は二重の丸い大きな目、彫の深い顔、肌が黒く、身長は低いが手足が長く、体毛は濃く、髪の毛はカールしたり縮れている。
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この特徴は肌の黒さ以外は縄文人、沖縄人、アイヌ人に似ている。
4.ドラヴィダ人は、縄文時代後期に日本列島へやって来た
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そのドラヴィダ人が3,500年ほど前の縄文時代後期に日本列島へやって来たと云う説がある。渡来数は少ないが、ドラヴィダ人が鉄や青銅を持ち込み、焼畑農業を行ったと云う。
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ただし、DNA分析ではドラヴィダ人と日本人は近い部分はあっても一致する部分はない。
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天皇を大和言葉ではスメラミコトと云うが、スメラ(皇)はシュメール(スメル)ではないかと云う説もある。
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天皇家の菊花紋はシュメールを含む中近東の王族の紋と同じである。
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やがて2,500年前になると、揚子江(長江)周辺の江南人(倭人)が数百年に亘って波状的に日本列島に逃れて来て、列島は縄文時代から弥生時代に移行していく。
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ドラヴィダ語の一種のタミル語と日本語は似ているようで、生活習慣や文化も似ているようだ。ドラヴィダ人は戦争も少なく、平和な商人中心の文化だったようだが、その点も縄文人と共通性がある。
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紀元前334年に越が楚に敗れ、越人(倭人)の多くがインドや東南アジアに逃れて、その地に言葉・文化を残しているので、ドラヴィダ人の生活地域にも倭人語や甕棺墓が残された。
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この倭人繋がりで日本とドラヴィダの共通性も考えられる。
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また、海の民のドラヴィダ人が沿岸部に港町を造り、交易を行い、縄文時代の日本列島までやって来たのではないでしょうか。
4.2 シュメール語・エラム語・タミル語・日本語など膠着語の共通性
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シュメール語・エラム語・タミル語・日本語など膠着語の共通性
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1.膠着語の共通性
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シュメール語・エラム語・タミル語・日本語など膠着語は、いずれも接辞が語幹について語を増やし、また文法機能を果たすという共通性があります。
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日本語では「う(有)」「く(来)」「す(為)」「つ(為)」「ぬ(存在否定)」「ふ(経)」「む(見)」「ゆ(由)」「る(ユと同じ)」などウ段の単音節の動詞から進化した接辞が語幹について「買ふ(買う)」「行く」「射す」「立つ」「いぬ(去ぬ←存在+ない)」「問ふ」「咬む」「いゆ(癒ゆ)」「刈る」などの2音節動詞をつくり、さらに接辞が重なって多音節動詞が派生したと思われます。
2.膠着語の共通性
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印欧語などの屈折語の活用も、もとは接辞だったのではないでしょうか。
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言語学者ボップによれば、英語とドイツ語の規則変化動詞の語尾「ed」「te」は動詞「do」「tun」(いずれも「する」)の過去形「did」「tat」(した)に由来するといいます。
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もともと動詞の時制は不規則動詞「sing~sang~sung」の活用のように、音韻変化で表現していたのが、動詞が増えるにしたがって、音韻変化では対応しきれなくなり、「ed」「te」を接辞として使うことで、時制を表したのでしょう。
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幼児が最初は単音節の1語文で話し始め、やがて2語文で意味を明確にするように、太古の人も単音節の単語をつないで複合語をつくったり、さらに単語を並べて2語文をつくったりして複雑な内容を表現するようになったのでしょう。
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よく使われる単語は、文法化で抽象的な文法機能語(助詞、助動詞)になったのでしょう。
3.大野晋氏の説
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大野晋氏の説では、タミル語にも日本語と同じ「こ」「そ」「あ」「ど」言葉があると書かれています。
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日本語の「こち」「あち」「をち(遠)」「そち」「どち」は「近接の接辞こ(此)+ち(路)」「あ(彼カの子音欠落?)+ち」「そ(其)+ち」「いづ(疑問)+ち」と分解できます。
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共通言語説「ユーラシア言語説」や「ノストラ語説」には説得力があります。
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【大野晋氏の日本語タミル語同系説】
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助動詞の配列順序が同一である
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Nata(動詞)・tta(使役)・ppat(受身)・tatt(完了)・um(推量)・ kollo(疑問)
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行か(動詞)・せ(使役)・られ(受身)・たら(完了)・む(推量)・か(疑問)
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助詞・助動詞は22語も対応する
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格を表すのにも日本語の助詞に相当する接尾辞が用いられる。
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また日本語の「こ・そ・あ・ど」にちょうど相当する4種の接頭辞i、u、a、e がある。
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vaḻi 「道」に対して、ivvaḻi 「この道」、uvvaḻi 「その道」、avvaḻi 「あの道」、 evvaḻi 「どの道」。
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ただし、uは古語および擬古体で用いられ、普通の現代語では用いられず、「その」はaにより代表される。
4.子音の組み合わせ(HR)が基本的な意味を決め、母音で意味が分化する
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野蒜(のびる)はニラやニンニク、ネギなどと似て、健康物質アリシンを含んでいます。
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「ひる」は「蛭(ひる)」「ひら(平←手+ひら)」「ひろ(広)」「へら」「ひれ」などと似て、扁平に広がった状態や物を意味します。
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「はら(原、腹)」「ほら(洞)」「ほる(掘る)」は「空間を広げる」意味が共通します。
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子音の組み合わせ(HR)が基本的な意味を決め、母音で意味が分化する現象は、セム語、印欧語など世界の言語に共通します。
4.3 シュメール人とラピュタ人と日本人
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シュメール人とラピュタ人と日本人
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1.海洋民族ラピュタ人に結びつくシュメール人
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ウルク期の後期に突如として現れる出自不明のシュメール人が、海洋民族ラピュタ人に結びつく人々だったとしたら、その文明が高度であったことも納得できる。
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チグリス・ユーフラテス川を源流までさかのぼると、「アサド湖」と「ハザル湖」にたどり着く。
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その中間地点にあるのが、世界最古の祭祀遺跡とされるギョペクリペテ遺跡。
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ギョペクリペテ遺跡には、イースター島のオロンゴ文明の死生観や、その中心的存在である鳥人のレリーフが刻まれており、祭祀の跡と思われる盃状穴も見られる。
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海洋民族ラピュタ人の元になったと考えられるポリネシア人の痕跡が残る世界最古の遺跡が、このシュメール文明が栄えたメソポタミア北部にあるのは偶然ではない。
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シュメール神話では、シュメールの人々に知恵を授けて信仰儀礼の正しいあり方を説いた7人の賢人、「アプカルル」という存在が登場する。
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アプカルルは、昼間は陸に上がって、読み書き・工芸・科学等の知識を人に教えて、夜になると海に帰っていった。
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そして、石板では半魚人のような姿として描かれている。
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海から来た海洋民族が、シュメールの人々に知恵を伝えていったことが神話からもうかがえる。
2.3つの海洋民族:「ディルムン」「プント」「マガン」
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また、世界最古の神話が記されたギルガメシュ叙事詩には、「ディルムン」「プント」「マガン」という3つの海洋民族が登場する。
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この3つの海洋民族がウバイド族と混じりあって、シュメール文明が形成されていった。
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「プント族」は、古代エジプトのヒクソス王朝の歴史に現れる地中海から紅海を地盤とする海洋民族。
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現在はアフリカの東海岸地帯でソマリアの国を作った一族。
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「ソマリア」の語源は「シューメリアン」。
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「マガン族」は、インドネシアを拠点とし、メコン川周辺にシュメール文明を伝えて、メコン文明を再構築し、後のアンコールワット遺跡等を残した。
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丸に十字のスワスチカのマークを旗に掲げ、大蛇神「ナーガ」をトーテムとしていた。
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「ディルムン族」は、パキスタンのモヘンジョダロやインダス文明のハラッパ遺跡の付近にあった「マドゥラ」を海都とした。
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ディルムン族は、元々は海洋民族ラピュタ人であり、日本にも来ていた。
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ギルガメシュ叙事詩で、ギルガメシュ王の犯した罪の罰として、親友・エンキドゥは女神イシュタルに殺され、ギルガメッシュは嘆き悲しみ、神に不死の方法を尋ねる。
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神は、その薬は「ディルムン」と呼ばれる島にあると答え、その行き方をギルガメッシュに教える。
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「ディルムンの島は、太陽の出る国を目指して、太陽の道に沿ってひたすら進みなさい
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東の果てに仙人が住む国にたどり着く」
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仙人というのは、洪水伝説の主人公ウトナピシュティム。
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彼は、アヌンナキから永遠の命をもらって、東海の蓬莱山の火口に住んでいた。
3.都市ウルク
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都市ウルクは北緯32度。
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ずっと東へ行くと中国大陸の東端は上海あたり。
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その先には九州があり、熊本が北緯32度。
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熊本がディルムン島だとするならば、海洋民族ディルムンは、九州を拠点にしていたことになる。
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彼らがシュメールの流れをくんでいたとすれば、シュメール語と日本語が同じ膠着語であった謎も解ける。
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しかも、海洋民族ラピュタ人の痕跡であるペトログリフやドルメンなどの巨石遺跡は、九州に多く見られる。
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ということは、ディルムン族は海洋民族ラピュタ人だったという可能性も十分考えられる。
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ディルムンの海都マドゥラは、日本では「松浦」「マツラ」と訛った。
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「マツラ国」(末羅国)は、中国の魏志倭人伝にも登場する古代の日本の地名。
4.タヒチの近くの「ナンマドール」遺跡
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また、タヒチの近くには「ナンマドール」という遺跡があり、この神殿は、この島にはない石で作られている。
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島の東西南北に同じ神殿が建てられていた。
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「ナン」は「ようこそ」と言う意味なので、ナン・マドールは、「ようこそマドールへ」という意味になる。
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マドーラは、海都「マドゥラ」がなまった言葉なのではないかとも言われている。
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もし、日本ではなく、このナンマドール遺跡が海都マドゥラだとしても、ディルムン族は海洋民族ラピュタ人の本拠地ともいえるポリネシアを主に活動していたことになり、ディルムン族=ラピュタ人の可能性は高い。
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このように神話などからシュメール人・海洋民族ラピュタ人・日本人のつながりを推測することができるが、実際にそのような証拠は残されているのだろうか。
以上