坂本龍馬の暗殺犯

目次 (2023/8/10 ver.0.01)

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1.What's new

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有害な役所一覧

税金の無駄使いで日本の借金を世界一に増やしている無能な日本の役所の言う事を聞いていたら、早く死ぬハメになるゾ。

1. 国交省:国土破壊省
  • 街路樹や道路際の桜や銀杏の木を破壊し、自動車の健康を優先し人間(国民)の健康を害し、多くの高齢者を死に追いやっている役所
  • 何十年も前に先人が植えた街路樹や道路際のプラタナスや桜や銀杏の木を切るのは、有史以来の悪魔の行為だ
  • 脱炭素化時代で、炭酸ガスを吸収する先人が植えた街路樹や道路際のプラタナスや桜や銀杏の緑は、最も重要な資源なのに、この役所は時代に逆行しているアホだ
2. 農水省:農業破壊省
  • 減反により日本の農業を破壊し、食料の自給自足を破壊し、国民の健康を害している役所
3. 厚生省:健康破壊壊省
  • 有害無益のコロナ・ワクチンを健康な国民に強要し、国民の健康を害している役所
  • コロナ・ワクチンは、製造元のビル・ゲイツが「感染予防に効かない失敗作だった」と言っているのに、厚労省は、それを無視して、健康な国民の健康を害したり殺そうとしている
4. 外務省:ケンカ売り省
  • 外務省は、ウクライナ問題で西側と一緒になってロシアに制裁を加えるという事で、ロシアに喧嘩を売っている。
  • それをロシア政府から「非友好国指定」された途端、日本政府(外務省)は遺憾だと言って、ロシアに猛抗議をした。
  • 日本政府(外務省)は、自分からロシアに喧嘩を売っておいて、ロシアから「非友好国」と言われて怒るのはアホである。

改定履歴

2.極悪人谷干城が坂本龍馬の暗殺犯か

極悪人谷干城は坂本龍馬の暗殺犯の可能性が高い
  • 土佐藩の後藤象二郎、岩崎弥太郎、極悪人谷干城はグルであり、「いろは丸事件」で7万両もの賠償金を得た同じ土佐藩の坂本龍馬を暗殺して、その金を三人で横取りした可能性が高い。
  • その理由は、極悪人谷干城が坂本龍馬殺人事件の第一発見者であるからである。 殺人事件の第一発見者が犯人である可能性は非常に高い。
  • 従来は、極悪人谷干城は、坂本龍馬を尊敬していて、瀕死の中岡慎太郎から事情を聞きだし、暗殺犯を生涯かけて追いかけたと言われている。 これも非常に怪しい。中岡慎太郎から聞いたフリをして自分の犯罪を隠している可能性が高い。
  • 新選組局長・近藤勇を捕えた際には、尋問について薩摩藩と対立しただけでなく、死罪の場合には武士の名誉を重んじて、 切腹にするのが通常であるにも関わらず、斬首・さらし首にした。
  • その理由は、極悪人谷干城にとって近藤勇の死は、龍馬の敵討ちであったからだと言われている。 しかし、 現在では新選組が坂本龍馬を暗殺した可能性は全くなく、濡れ衣だとされている。
  • 新選組には龍馬暗殺の時間帯は伊東甲子太郎を襲う密議の最中で、主要なメンバーにほぼ完璧なアリバイがあることが後日判明しているのだ。
  • だとすると、なぜ執拗に極悪人谷干城は、近藤勇を斬首・さらし首にしたのであろうか。 それは、極悪人谷干城自身が坂本龍馬の暗殺犯であるから、それを隠すために、 近藤勇があたかも犯人であるように見せるためであったに違いない。
  • また、後に見回組の今井信郎が「坂本龍馬を殺した」と言ったのに対し、「お前ごときに坂本龍馬が斬られるものか」と非難したと言われている。 極悪人谷干城自身が坂本龍馬の暗殺犯であるから、思わず「お前ごときに坂本龍馬が斬られるものか」と言った訳だ。
  • 加治将一著「龍馬の黒幕」(祥伝社文庫、386ページ)では、「坂本龍馬を殺した」テロリストは、「谷干城」「田中光顕」「中岡慎太郎」の三人だとしている。
  • 英国の諜報部員(公使)のアーネスト・サトウの日記にも「まったく姓名不詳の三名の男に殺害された」と記されているので、 「坂本龍馬を殺した」テロリストが、「谷干城」「田中光顕」「中岡慎太郎」の三人であることは間違いないと思われる。
  • 「中岡慎太郎」は坂本龍馬の反撃に会って二日後に死んだらしいが、「谷干城」「田中光顕」は生きて、 テロ成功の恩賞として初代内閣の「農商務大臣」と「内閣書記官長」に抜擢された。
  • 「中岡慎太郎」は坂本龍馬の反撃に会って死に、「田中光顕」は「谷干城」の部下であるから、「谷干城」が「坂本龍馬を殺した」テロリストの主犯格であり、現場責任者であった。
  • 「坂本龍馬を殺した」テロリストの主犯格の「谷干城」は、まさしく日本一の極悪人なのである。
  • いずれにせよ、明治政府と言うのはテロリストが作った政府であったのである。
  • 現在のIS国がテロに成功して明治政府になったようなものなのだ。

坂本龍馬の暗殺事件の年に、極悪人谷干城は薩摩藩のメンバーと会っていた
  • 薩摩と土佐は最後まで新選組犯人説を唱えたといわれるのだが、薩摩と土佐は犯人を新選組だということにしたかったのである。 つまり、真犯人である薩摩や土佐のメンバーの誰かが疑われることを入口から遮断しようとしたと考えられる。
  • 極悪人谷干城は龍馬が暗殺された慶応3年(1867)の5月21日に、まさに板垣退助とともに西郷隆盛・大久保利通・小松帯刀と会い武力討幕を密約している。
  • 坂本龍馬の考え方は武力討幕ではなく、徳川慶喜を新政府の中に入れるという穏健なものであり、薩摩藩や谷の考え方とは異なっていた。
  • 武力討幕派にとっては、徳川慶喜が絶対拒否するとタカを括っていた大政奉還を承諾したので、 その流れでは坂本龍馬のような穏健派に新政府のリーダーシップを握られてしまうことを懼れて、 薩摩と土佐(後藤象二郎、岩崎弥太郎、極悪人谷干城、板垣退助)は龍馬を排除しようと動いたのである。
  • 薩摩からの坂本龍馬暗殺の了解を得た極悪人谷干城は、その足で近江屋にいる坂本龍馬に会い、 5月21日が33歳の誕生日であった坂本龍馬の誕生会と称して、酒か肴に毒を盛り坂本龍馬を毒殺後、毒殺隠蔽工作を行ったに違いない。
  • そもそも坂本龍馬が近江屋にいることは、土佐藩の人間しか知らない極秘事項であり、 新選組などの土佐藩以外の人間が知る由もなかった。
  • 坂本龍馬殺人事件の第一発見者である極悪人谷干城は、自分が犯人であることを隠蔽するために、 アリバイがあるとも知らない新選組を犯人だ犯人だと言って喚いたのである。
  • まさに、極悪人谷干城は、日本史上、最低最悪の男なのである。

3.福岡孝悌が証明した坂本龍馬暗殺の土佐藩犯人説

4.スパイ岡本健三郎が坂本龍馬を見張っていた

キャノン機関とは

5.孝明天皇暗殺の真相

現代医療は嘘である