英語の話題

英語の語源である印欧語から英語の話題を話しましょう。

印欧語は、サンスクリット文法によって言語の「標準化」路線に乗るように仕向けられた言語群

印欧語の強さの根源を考えてみた

印欧語の強さの根源を考えてみたから引用。

英語、中国語、日本語の違いについての素人論を書いていて気付いたのだが、印欧語族とは、サンスクリット文法によって、言語の「標準化」路線に乗るように仕向けられた言語群では。

この3言語、根本的には以下の違いがあると見ているのだが、印欧語族はさらにサンスクリット文法的な文章構造を採用しているようだから、この違いも大きい。 そこら辺りも書き留めておこうと思う。

  1. 英語(及び、印欧語族)=音声型
  2. 中国語(中国語族のこと)=記号型
  3. 日本語(及び、南島嶼語族)=情緒型

見ず知らずの人が会話を始める場面を想定してみよう。

おそらく、言葉だけで、互いにどの程度わかりあえるか確認し、慎重に会話を始めることになろう。こうしたやり方なら、「情緒型」の日本語は実にお気楽。

情緒を共有できそうな範囲内での会話が弾むからだ。文法にあまり拘らず、単語をそれなりに繋げるだけでも、なんとか意思疎通ができるからでもある。

しかし、お互いのレベルが揃っていないと、話は別。とたんに感情表現が伝わらなくなってしまい、それこそ誤解だらけということもあり得るのだ。

ただ、レベルが違っていると、合わせられぬとはならない。どうしても日本語で話したいとの姿勢を見せさえすれば、仲間意識が生まれるからだ。 これが、「情緒型」言語の特徴でもある。

一端、仲間ウチのコミュニケーションとしての場が設定されれば、おかしな言い回ししかできない人がいても、皆、それに合わせて話をすることになる。

これで万事解決。文章構造が柔軟なので、文法的におかしくても、日本語会話は成り立つのである。但し、その場限りだが。

「音声型」の英語は、これとは正反対の特徴を持つ。

全く異なる文化に属する人だろうが、しっかりしたルールに基づいた文章構造で話せば、何を言いたいのか、かなりのレベルまで、互いにわかりあえる点が特徴。

例えば、印欧語と文章構造的に全く違う言語であっても、無理矢理構造を合わせてしまえば、意思疎通ができるのだ。

2種類の言語の単語をチャンポン式に使った会話なら、すぐに始めることができるのである。

それが広まれば、現地語の単語が次第に少なくなり、擬似印欧言語が生まれることになる。植民地では、この方式で印欧語が浸透していったと思われる。

古典的な植民地支配はその後なくなったが、言語上のこうした流れは今も続いていそう。もしかすると、日本語も揺さぶられているのかも。

それでは、その印欧言語の文章構造ルールとはいかなるものか。

英語文法では、S、V、C、Oの順番設定として5文型を習うが、これは枝葉末節的。もっと根本的なルールが内在している。

素人的見方なら、さしづめ、「文章は3つの部分で形成される」となろう。・・・「1. 導入部」、「2. 本体部」、「3. 付属説明部」である。 (但し、疑問を呈する時は、こうならないが、本質的な問題ではない。)

さて、3つの部分の定義だが、構文用語を一寸変えただけに過ぎない。しかし、それが肝である。

「導入部」は「S(主語)」、「本体部」は「V(動詞)」で、その残りが「付属説明部」ということ。

つまり、「主語」という見方をするな、ということ。「S」は「Sub」であり、「主」ではなくて動詞の「従」。 (「主語」と考えるべきは、中国語の場合。「記号型」だから、最初に提示する概念は「主語」でなければこまるのだ。)表現したいのは、 あくまでも「本体部」の「V(動詞)」。「S」は、「V」の露払い役にすぎず、 その動きの元を示唆するだけの単語。

文の先頭に立つ理由は、主語だからではなく、どんな話題を提供するか予め提示することにある。 だから、ここは「導入部」なのだ。

例えば、He talks. なら、先ずは、「彼なんだがネ」と切り出す訳である。そして、(彼は[主語])「話してる。」となる。

この場合、「付属説明部」は省略されていることになる。それは、おそらく、about something と with someone であろうと推定することになる。

命令文だと、直接「本体部」から始まるから、「導入部」は推定しなければならないのである。 (サンスクリット文法によれば、文章を作成する場合は先ずは「本体部」から。時制を考えて、 動詞を決めた上で、それに対応する主語を設定するようだ。これは思考の順序で、文章の頭から始まる順序ではないようだ。凄い。)

上記の英文だが、情緒型の日本語ではこの手の表現は滅多にお目にかからないのでは。 人称代名詞を使用すると、その人物をどう扱っているか相手に伝わらないから、避けることが多いのである。

「彼なんだがネ」も使わないことはないが、「奴はネ」にしたり、「○○君はサ」等と、言い回しを工夫するのが普通。

矢鱈面倒だが、「情緒型」言語とはそういうもの。これを怠ると感情の共有が図れなくなるから、おろそかにはできない。 英語のような人称代名詞は日本語には無いと考えた方がよいかも。

そうなると、英語は何故、人称代名詞を多用するのかが気になるではないか。ココ、結構重要な視点。 いくら非「情緒型」の言語だといっても、共通認識可能な範囲を確定しておく必要はあろう。

それを確認する上で、人称代名詞は役に立つということでは。互いに情報共有できていると感じたら、固有名詞でなく、すかさず人称代名詞を使うのである。 仲間ウチの日本語会話で、「あいツ、もうすぐ来るって。」というようなもの。

「3つの部分」確認のために、もう一例あげておこう。It is hot, today.

「状況話なんだけど」という「導入部」が先頭。そして、(状態としては[主語])「暑いネ」が「本体部」で、「付属説明部」が「今日は」。

実に、よくできた構造だと思う。そのまま和訳を繋げれば、「状況話なんだけど、(状態としては)暑いネ、今日は。」となる。 多少おかしいとはいえ、意味がわかる文章として成立しているではないか。

こんなことができるから、印欧語族の言葉は世界標準の地位を狙える訳である。それを早くから理解していたのが、サンスクリット文法学者達である。流石。

日本語は、こうした理屈っぽい言語に真っ向から逆らう手の言語かも知れぬ。そのため、未だに、コンピュータ翻訳はおかしなものになりがち。

しかし、もし、上記のような印欧語型の構文ルールを日本語に持ち込めば、その問題は解決するかも。

グローバル化が進展すると、その方が良いと感じる人も出てくる可能性もなきにしもあらす。

南無阿弥陀仏と般若心経の最後の文言

南無阿弥陀仏の意味

南無阿弥陀仏と言うのは、印欧語では以下のようになるそうだが、 意味不明の中国語でお経を読むのではなく、印欧語でお経を読む方が、意味がわかりやすい。

「Name a meter Buddha.」 (高貴な仏陀樣の名前を唱えましょう!)

「name」・・・名前を呼ぶ

「a meter」・・・はかりしれない  →「a」は否定、「計る」のmeterの語源!!

「Buddha」・・・仏陀(固有名詞)

般若心経の最後の文言

羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶

ぎゃてい ぎゃてい はらぎゃてい はらそぎゃてい ぼじそわか

般若心経の最後の文言は、玄奘三蔵法師といえども翻訳は不可能だったと言う。

それで梵語(Sanskrit)の音そのものを漢字で表現したようですある。 ありがたい言葉で翻訳できない真言であると言われている(弘法大師)。

「ga te ga te pa ra ga te pa ra sam ga te bo dhi sva ha」

この「ga te ga te pa ra ga te pa ra sam ga te bo dhi sva ha」の部分を 中国人の三蔵法師が翻訳しなかったのは、意味を知って恥ずかしいと感じたか、 金儲けと殺人しか理解できない大陸系の人間ゆえに、怒って理解を拒否したのかも知れない。

そこで、三蔵法師の代わりに演歌が大好きな日本人(インド人の気持ちが分かる?)が、以下に解読を試みる。

「ga te ga te」は、「go to go to」の意味ではないか。

例の「行っちゃう、行っちゃう」と言う絶頂の意味ではないか。

「pa ra ga te」は、「super go to」の意味ではないか。

つまり、「もっと行っちゃう」と言う恍惚の意味ではないか。

「pa ra sam ga te」は、「super something go to」の意味ではないか。

つまり、「何もかも、もっと行っちゃう」と言う解脱の意味ではないか。

「bo dhi sva ha」は、「bo dhi」が悟りを意味し、 「sva ha」が、活かすを意味するので、 「これで、悟りは完了した!」と言う意味ではないか。

早い話が、「行っちゃった!」と言う意味であろう。

いかにもインドらしい、健康的で現世肯定の般若心経の最後の文言ではないか。素晴らしい。

英語の語源となった印欧語

que:疑問形

por[ポー 通す]が埋め込まれた英語

port
appear

機能文法

機能文法とはなにか

M.A.K.Halliday(ハリディ)が、機能文法と言うものを考案した。

従来の形式主義(チョムスキ-等)の文法は、1文を1単位として捕らえてtreeによる分析をしている。

これに反し機能主義では、語、群、節、テクスト、などの小から大にわたる言語構造をそれぞれ単位として捕らえ、 それらが結合しあうことによって生まれてくる意味を、それぞれの単位ごとに説明する。

その説明には、従来の文法(少なくとも、学習文法)では及ぶことのできない範囲の内容を、 解釈のモデル(3つのパラダイム)によって、「目からうろこ」の説明を行っている。

語用論的な側面を重視した考え方

機能文法とは、言語の語用論的な側面を重視した考え方で、 構造や分析など言語形式を重視する形式文法に対して、 伝達行為の中で言語がいかに機能しているかということに注目したものである。

そうした言語の諸機能をハリディは、以下の3つに分けて考えている。

  • 観念構成的 (ideational)機能:現実認識や内的・外的経験を表現する
  • 対人的 (interpersonal) 機能:話し手と聞き手の関係を表す
  • 談話構成的 (textual) 機能:発話内容に脈絡をつける

他動性の選択(transitivity options)

その中で最も中心的な観念構成的機能を担うものが、他動性の選択(transitivity options) である。

それは、我々が物事を表現するときに常に行っている以下のような 異なる種類の「動詞型 (process type)」 や それに関わる人物・物といった「参与要素 (participant)」 の選択のことである。

  • 動詞型 (process type):
    • material process
    • mental process
    • relational process
  • 参与要素 (participant): 人物・物、that節など

例えば、同じ場面を目撃しても、以下のように二つの言い方がある。


A big dog is frightening a little boy.
A little boy is scared of a big dog.

この動詞と参与要素の選択は発話者がどのようにその場面を理解しているかという現実把握の 違いに関係していると思われる。

別の例を挙げると、「リチャードとシンディがキスをした」という内容を伝えるとき、 以下の両方の言い方ができる。


(a) Richard kissed Cindy.
(b) Cindy kissed Richard.

(a)、(b) とも行為を表す動詞 'kiss' は同じであるが行為者が異なり、 (a) ではリチャードが、(b)ではシンディがその行為を遂行しているために、 2人の関係が (a) と(b) において違うように感じられるのである。

このように、動詞型とその参与要素の選択は「誰が誰に何をするのか」('Who does what to whom?') という問題に直接関わっている。

ハリディの文(節)の構成要素

ハリディのは、文(節)の構成要素として、以下の3つを掲げたが、通常の文法用語では、 それぞれ「動詞」「名詞」「副詞・前置詞句」に相当する。

  • 過程中核部(process):動詞群
  • 参与要素(participant):名詞群
  • 状況要素(circumstance):副詞群か前置詞句

なぜ、ハリディが動詞、名詞、副詞・前置詞句と言った品詞の名前を使わないかと言えば、 それは、自動詞・他動詞のような品詞的な用語が、動詞そのものの特性を意味するのに対して、 ハリディは文(節)の中での「過程(動詞)が各要素によって、どのように構成されるか」と言う意味論的な使い方をしたいからであろう。

ハリディの動詞型の3つの分類

ハリディの動詞型(process)はまず大きく3つに分類される。

  • material process:何らかの行為を行う
  • mental process:感覚を表す
  • relational process:存在・状態・関係を表す

ハリデイの述べているこの3つの分類の規準は次の通りである。

  1. mental process は常に意識・知覚のある参与要素を必要とする。
  2. material process の参与要素は人や物であるが、mental process はthat 節を用いるなどして事象を参与要素とすることができる。
  3. material process は動詞 'do' によって代用されるが、mental process や relational process ではできない。
  4. material process は補語をとることができないが、他の2つはとることができる。relational process は形容詞を補語にできるが、mental process はできない。

定性操作詞

時制操作詞
過去 現在 未来
肯定 did, was, had does, is, has なし
否定 didn't, wasn't, hadn't doesn't, isn't, hasn't なし


紅葉1